葛の花

夏の終わり、山と海の境の国道は、なんとなくさびしい感じです。こんもりした雑草の山にも「もうすぐ枯れる予感」がします。「予感」って、体験からくるものなのか、それとも全く違うところから降りてくるものなのか、どうでしょう。
てなこと考えて生い茂った草を見ていると、なにやら紫の房があちこちに。野生のブドウのようにところどころで、キラキラと。ああ、葛の花です。それは葛の葉で区別できます。葛の葉は、裏が白くて「葛の葉裏」という古語もありますから。
もう、葛の花の季節になったのですね。「葛の花踏みしだかれて色新し この山道を行きし人あり」釈超空、という名歌があるくらい、人里離れた処に咲く雑草です。勢いが強くて、ま、嫌われ者の雑草ですが、花は、本当に風情があります。
「踏みしだかれて」というフレーズが、高校生のころハッとして、ずーとこの季節になると思い出します。何気なく踏みつけて花を傷めて、本人は気づかなくても、その跡はくっきりと残る。それを、後から来た人は、頼りにするのでしょう。
でも「人の身にかっと日当たる葛の花」飯島晴子、となると、どう解釈していいのか、難しい。前の歌を本歌取りすれば、葛の花を踏みつけた人の罪が白日の下にさらされる、ということかな、まさかね。「白日」を「かっと日当たる」とするところ、すごいです。
「これ着るとフクロウが啼くめくら縞」など、飯島晴子は、すごい表現します。読む価値あり、の俳人です。詳しくはこちら

なつかしの庭

実家の周辺が、どんどん変わります。バス停の近くに素敵な家がありました。庭にシャクナゲの木があって、いつも綺麗にされていました。母の女学校時代の先輩、という人でした。
ある日、その方がゴミを出そうとしていらしゃいます。私は思わず「お持ちしますか」と、いいました。するとその方は「自分のゴミを自分で出せなくなったらおしまい」と、おっしゃいました。
恐縮しました。ご老人がなにも出来ないだろうと思っている、言い換えれば、軽く見ているだろう、と見透かされた気がして。いつもきちんとワンピースを着て、髪も整えていらっしゃいました。
なんでもご主人を介護している、という噂もありました。ある日「」あなた、xxサンね」と、母の旧姓で呼ばれました。「お鼻のあたりがそっくりよ」と。母に話すと、「嫌だ—」だって、こっちも。
しばらくして、その方が亡くなった、と聞きました。姿をみないな、と思っていた矢さきでした。庭に倒れていらして、お隣のかたが見つけると「そのままにして」と、言われたそうです。
そして、病院にも行くことなくお亡くなりになった、と聞きました。あの方らしい、と思いました。病院でベッドに繋がれるより、庭に抱かれて死にたい、と思われたのでしょう。
いまでも、バス停に行くたび、その方を思い出します。庭は、どんどん荒れてきました。
でもシャクナゲは咲きます。草一本なかった庭に姫ジオンが咲きました。雑草ですが、清楚なその姿はあの方のようです。どうぞ、あちらでゆっくりお休みください。生理前の腰痛。